諏訪に暮らすものとして。
諏訪大社は、子供の頃からず~っと心のよりしろになっている存在。
でも、ず~~~っと不思議だった事が、一つあるんですよね。
あれだけ広く信仰されている、お諏訪さま、タケミナカタ(建御名方神)が。
古事記の国譲り神話では、敗残兵の様な扱いを受けている事。
古事記の国譲り神話を、僕の理解でざっと書けば、
1)地上世界(葦原の中国)を治めていた、オオクニヌシ(大国主神)の元へ、高天原のアマテラス(天照大神)の使い、タケミカヅチ(建御雷神)がやってきた。
2)タケミカヅチが、オオクニヌシに『地上世界を俺たちに寄越せ』と迫った。
3)オオクニヌシは自分で返事をせず、『息子のタケミナカタ(建御名方神)が返事をする』と丸投げ。
4)タケミナカタは『国をよこせだ?生意気いいやがって。勝負だ!』とタケミカヅチに挑んだが、タケミナカタがズタボロの敗戦をくらって逃走。
5)諏訪まで逃げたタケミナカタが、タケミカヅチに『一生諏訪からでないから、許して』と命乞いして許しを請うた。
ってなるんですが。
そんな敗戦逃走して命乞いした神様(タケミナカタ)が、なんでこんなに『軍神』として崇め奉られているんだろう?
というのは、子供の頃からの謎って言うか不思議でした。
まぁ、高天原から来たサイヤ人(タケミカヅチ)に挑む、地球人代表・クリリン(タケミナカタ)みたいに考えれば、『よくやった!』とは思うモノの、何で?っていう不思議はあったわけです。
そんな心のモヤモヤを解く話を最近知りました。
タケミナカタが敗残兵であるかのような、この国譲りの神話。
実は、タケミカヅチの威光を高めるために、後に古事記に挿入された話であるとする説があるんだとか。
理由は結構多くあって、
・そもそも、この国譲りの話は古事記にしか記載が無い
→ほぼ同時期に編さんされた日本書紀には、国譲り神話の記載が無い
・オオクニヌシの息子とされるタケミナカタは、古事記にしか記載が無い
→出雲国風土記や、出雲国造神賀詞など、オオクニヌシの系譜を表す他の記録にさえ、息子であるはずの『タケミナカタ』は名前が無い。
・いわゆる藤原氏(中臣氏)は、アマテラスらの子孫(タケミカヅチの子孫)とされていて、自分たちの先祖(タケミカヅチ)の威光を高めるために、タケミナカタをボコボコにした神話を創作し、古事記に挿入した。
→40年弱の期間をかけて編年体で作られた日本書紀とは異なり、物語調の記載である古事記は、稗田阿礼の語りを太安万侶が編さんし4か月程度で完成しており、当時の権力者・藤原氏の権威を高めるには、かような作話の挿話がうってつけであった。
・そもそもの諏訪明神は、土着の神 洩矢神と争い勝った神であり、これとタケミナカタは同一ではない
等々、まぁ出るわ出るは。
こういう疑念が呈された根本には、かの本居宣長も同様の意見を持っていた云々の話があるようで。
となると、
・そもそも、タケミナカタは敗残の神ではない
と、すごくスッキリ信仰の深さが解る結果に。
なるほどなるほど~♪