どくたまの独り言 Part2

どくたまによる、どくたまのための、徒然なる独り言。

契約の重さ

今日のトップニュースは、どこもそこも例の秋葉原の通り魔でしたけど、おいらの興味はどっちかっていうと水着の問題の方。スピード社の水着を、日本の選手も北京オリンピックで着られることになりそうだ、っていうニュース。
あれだけ“奇跡の水着”みたいな報道をされていたら、プラシボ効果で記録も伸びるんじゃないか、と思ってましたけど、あれだけ好記録を連発してたら、たとえプラシボでもその性能を認めないわけにはいかないでしょう。
これはもう完全にスピード社の努力の賜物。よく頑張りなした、偉いです。
なのに、ニュースを見てると、スピード社が悪者扱いされてるように感じるのは僕だけなのかな。研究して、よりよい水着を、現行の枠内で作っただけなのに、『あれは水着じゃなくて機械だ』なんて言われたりして。

『皆が同じ水着を着られないのは不公平だ』
っていう意見が、ニュースではよく聞かれていたので、今回のこの水着自由化を歓迎する意見が多々見受けられますが、道具が進化して、高記録を出すなんてのは、どのスポーツでも当たり前にあるのに、不公平なのは駄目なんですかね。

スポーツに疎い僕でも、金属バットととか、スパイクシューズとか、スラップスケートとか、道具が進化して記録がよくなった競技はいくつか思いつきます。
こないだまでF1で頑張ってた“スーパーアグリ”だって、他チームのお下がりみたいな旧型のマシンで戦ってたのに、誰も『不公平だ』なんて言わなかったのにな。むしろ『よくこんなマシンで完走した!入賞した!!』なんて、褒め称える要素にしてるくらいだったのに。

なんと言っても、所詮は弘法も筆を選ぶんです。お金かかるのは当然。不公平で当たり前です。
だから、いろいろな『契約』をして、資金面で援助してもらったり優遇してもらってるはずなのに、そんな簡単に乗り換えていいのかな?

なんだかまとまりがなくなってきちゃいましたけど、
要はいろいろな“お約束”をして、選手も、メーカーも、協会もそれぞれにメリットとデメリットを受けていたはず。そのデメリットばかりが強調されて、享受してきたメリットに対してなんら批判が無い。

うん、そういうことです、はい。