どくたまの独り言 Part2

どくたまによる、どくたまのための、徒然なる独り言。

一人殺してきました

今日も当直先で見取った患者さんがいました。

が、今までと決定的に違う出来事がひとつ。

僕がその方を殺した、って言えばいいのかな。
自分で引導を渡した、はじめての患者さんでした。

呼吸停止に陥った患者さん。

救命処置は、心臓マッサージや人工呼吸、各種薬剤を使った対処などを同時平行して行いますが、これをずっと続けるわけには行きません。
ある程度の時間を過ぎると、救命率がグッと低くなる。
また、この処置には何人もの医療スタッフがかかりっきりになるので、処置中は他の患者さんが“ほったらかし”になってしまう。

だから、ある程度目鼻がつくと、僕らは家族に話をします。
これ以上は救命の可能性がほとんどありません、と。

実際、こうした処置は見た目非常に痛々しい。
多くの家族はこの話をすると、処置を止めて死亡の確認をしてください、となります。
(過去には死を頑として認めず、8時間近く心臓マッサージを続けさせられた事もありましたけど)

だから、僕ら医師はある程度“死”の瞬間を意図的に決めている、といえます。患者さんをいつ殺すか。家族と相談しているんです。

が、今日は違いました。

家族は存在します。が、全然連絡が取れない。

入院患者さんは、非常時の連絡用に複数の連絡先を控えています。が、病院で控えていた連絡先は、自宅も携帯も連絡が取れません。第二連絡先の親族も、同様に連絡が取れず・・・

カルテを隅まで見返すと、非常時の対応に関しては、
『家族の希望を優先する。が、その場の医師の対応で決めて“も”よい』
という、実にどっちつかずな記載しか無い。

処置を続けてはいるものの蘇生反応は無く、死の兆候が確認でき始めている状態。法的に生きていても、医学的には“死”な状態。
家族の希望を確認しようにも、まったく連絡がつかない状態。
当直先なので、どんなご家族か、会った事も無い方達です。

『お見取りしましょう・・・』

蘇生処置の中止を決めました。
この瞬間、家族はこの事を知りません。
家族の知らないうちに、僕がこの方を殺した・・・そう言える訳です。

半日ほど経って、家族と連絡が取れました。
トラブルにはなりませんでしたが、僕にとってなんとも後味が悪い。

間違った、とは思いません。
今後もまた経験するんでしょうけど。
やっぱりいい気分じゃないですね、これは。