どくたまの独り言 Part2

どくたまによる、どくたまのための、徒然なる独り言。

昨日の(今朝の1/11の)日記に関して

今朝の日記の文言に関して、ご意見を頂いたので、今日はそれを受けて書きます。

一般の方も読みうる場で『殺した』という表現はいかがなものか。
社会的死亡にあたるのだから、この蘇生処置終了を『殺す』という表現はいかがなものか。

そういう意見です。

『蘇生措置の中止=殺す』
という表現は、同義ではないかもしれません。

ですが、自分の体験・経験を踏まえて考えると、やっぱりあれは僕が殺したんだ、と、思えてしまうので、ああいった表現になった経緯があります。
この日記は1度に1000字しか書けないので、昨日の日記(2011.1.11“一人殺してきました”)には、あれしか書けませんでしたが、せっかくなので、何回かに分ける形で、僕がこう思う・考えるに至る背景を書いてみたいと思います。僕の医師としての根底(というと大げさかもしれませんが)にもある考え方ですから。
 

まず、ご遺体に関しての考え方を、高校時代の友人Tから諭されたのが、僕のベースにあります。
どういう流れでそんな話になったのかは覚えていませんが、まだ学生の頃、ご遺体の話をしているときに、僕がふと
『1体、2体・・・』って、ご遺体を数えた時の事です。
友人Tが言った言葉が強烈に印象的でした。
『そうか、もう死んじゃったら、1人2人じゃないんだね。』
っていう言葉。

僕にはこれが強烈でした。
まだ学生の自分が、一般の概念から離れつつあるんじゃないか。
そう思えたんです。

1体2体という数え方は、医療業界の数え方として間違ってはいません。
ですが、“1人2人”から“1体2体”と呼び方が変わること。
それはもう“ヒト”ではなく“モノ”として扱っているような印象だよ・・・そうTから諭されたように感じた瞬間でした。

現場で働いた事もない学生レベルでも、一般人とはちがった感性に陥りつつあるんだな。
このとき、そう強く感じました。

よく、医者は凝り固まった、違った感覚でウンヌンと言われます。
自分はそうならないように・・・普通の目線でいたいな、と思っていただけに、このTの言葉が強烈でした。

家族にとっては、たとえそれがご遺体であっても、家族に違いない。
ご遺体であっても、それはモノではなくヒトなんだよな。

多分、Tは覚えていない出来事でしょうが、僕にはものすごく印象的な出来事でした。

これが僕のベースの一つ目にあります。