根拠は無いし、完全な私見であるが。
食いしん坊と、心の広さは、相関があると思っている。
裏を返せば、食に興味のない、偏食家ほど、心が狭い。
自分の私見では、そう思う。
心の広さって、何で測ればいいのか。よくわからないが。
寛容とか、受け入れの幅が広いとか、興味を持って食いついてみるとか。
排他的にシャットダウンしない、そんな姿勢。
好奇心旺盛さとでも言えばいいのかな。
そんなところが背景にあるんじゃないかなって思う。
食いしん坊って、全体的に、そういう気質があると思うんですよね。
色々食べたい。
美味しいもの食べたい。
そういう心根があるから。
『へぇ、そんな料理があるの?』
『何、その味付け方って、どんな味?』
ってふうに、食いついてみようとするところが、根っこにあると思うんですよ。
ちょうど正月だから、一例あげればお雑煮。
丸餅か、角餅かの差に始まって。
ダシはなにで取るのか。
具が肉なのか魚なのか。
味付けは味噌か、醤油か。
地域差もあるし、同じ地域でも、家庭ごとに味が全然違う。
言い換えれば、正解のない料理がお雑煮。
それを、
『味噌味の雑煮って、食べたこと無いなぁ、どんな味?』
ってふうに、食べてみようとする。これが食いしん坊。
『味噌味の雑煮なんか、雑煮じゃない』
と言って、食べようともしない。これが偏食家。
だから、食いしん坊は、心が広くて、経験値が高まると思うんですよね。
自分が知ってる事なんて、たかが知れてる。
せっかく、未知の体験・経験ができるチャンスがそこにあるのに。
シャットダウンしてやろうともしない。
なんてもったいない、って思います。
味噌味の雑煮、食べてみたら、美味しいかもしれない。
そうしたら、
『こんな料理や味付けがあるんだ!』
と、自分の世界が広がっていく。
よしんば美味しくなかったとしても、そういう味、料理があるという知識、経験は、他の物を見るときでも、画一的に考えてはイカンという経験になる。
食べずに『そんなの無し』というのと。
食べてみたうえで、『自分の口には合わない』というのは、大違い。
自分の常識・非常識、ということを知ることができただけで、素晴らしい。
食いしん坊は、こうやって世界を広く知って経験していく事ができる、素晴らしい性格だと思う。
経験もせず、排他的にけなすだけ。
そんな人には、なってほしくないな、とふと思ったので。
完全な私見であるが、書いてみた。