どくたまの独り言 Part2

どくたまによる、どくたまのための、徒然なる独り言。

食いしん坊と、心の広さ

根拠は無いし、完全な私見であるが。

食いしん坊と、心の広さは、相関があると思っている。

裏を返せば、食に興味のない、偏食家ほど、心が狭い。

自分の私見では、そう思う。

 

心の広さって、何で測ればいいのか。よくわからないが。

寛容とか、受け入れの幅が広いとか、興味を持って食いついてみるとか。

排他的にシャットダウンしない、そんな姿勢。

好奇心旺盛さとでも言えばいいのかな。

そんなところが背景にあるんじゃないかなって思う。

食いしん坊って、全体的に、そういう気質があると思うんですよね。

色々食べたい。

美味しいもの食べたい。

そういう心根があるから。

『へぇ、そんな料理があるの?』

『何、その味付け方って、どんな味?』

ってふうに、食いついてみようとするところが、根っこにあると思うんですよ。

 

ちょうど正月だから、一例あげればお雑煮。

丸餅か、角餅かの差に始まって。

ダシはなにで取るのか。

具が肉なのか魚なのか。

味付けは味噌か、醤油か。

地域差もあるし、同じ地域でも、家庭ごとに味が全然違う。

 

言い換えれば、正解のない料理がお雑煮。

 

それを、

『味噌味の雑煮って、食べたこと無いなぁ、どんな味?』

ってふうに、食べてみようとする。これが食いしん坊。

 

『味噌味の雑煮なんか、雑煮じゃない』

と言って、食べようともしない。これが偏食家。

 

だから、食いしん坊は、心が広くて、経験値が高まると思うんですよね。

自分が知ってる事なんて、たかが知れてる。

せっかく、未知の体験・経験ができるチャンスがそこにあるのに。

シャットダウンしてやろうともしない。

なんてもったいない、って思います。

 

味噌味の雑煮、食べてみたら、美味しいかもしれない。

そうしたら、

『こんな料理や味付けがあるんだ!』

と、自分の世界が広がっていく。

よしんば美味しくなかったとしても、そういう味、料理があるという知識、経験は、他の物を見るときでも、画一的に考えてはイカンという経験になる。

食べずに『そんなの無し』というのと。

食べてみたうえで、『自分の口には合わない』というのは、大違い。

自分の常識・非常識、ということを知ることができただけで、素晴らしい。

 

食いしん坊は、こうやって世界を広く知って経験していく事ができる、素晴らしい性格だと思う。

 

経験もせず、排他的にけなすだけ。

そんな人には、なってほしくないな、とふと思ったので。

完全な私見であるが、書いてみた。